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ある出張の記録 [博物館の仕事(天文以外)]
日常のことはツイッターでツイートしていたので、このブログは気がつけば1年も放っていました。そこで今回は、ツイートしそびれたことをブログに書いてみます。天文関係以外の出張もありましたよ、という紹介です。
初日の9月29日は移動のみで、2日目は東京都日野市の多摩動物公園へ。夏の企画展で展示していたパンダの「カンカン」の剥製を返却しました。今は無事「ランラン(左)」の隣に収まっていますよ。
次は八王子市の収蔵施設に移動。ナウマン象の全身骨格も返却しました。
その関連で、八王子市が建てたTAKAO 599 MUSEUMを見に行きました。今年8月にオープンしたばかりの新しい施設。ミュージアムと呼ぶには物足りないところはありますが、「ネーチャー・ギャラリー」といった趣で、たいへんきれいな展示でした。今後はリピーターが多く訪れるような企画に期待です。
そこから翌日の用務地のつくばに向かうのですが、時間があったので、新宿のコニカミノルタプラザでKAGAYAさんの写真展「星月夜への招待」を見ました。月が雲の背後にあるだけで月も星も写っていない作品など、こういうのもありなのかと、やはり勉強になります。写真もいいのですが、その写真を何枚も連続で見せるタイムラプス動画には圧倒されました。静止画の作品は、長時間、数え切れないぐらい撮影した中の一枚に過ぎないと思うと、手間をかけずに写真を撮ろうとする無精な私には、なかなか真似できません。
さらにその日は、なんとか水道橋のTeNQにまで足をのばすことができました。本物の研究室が「展示」してあることが最も驚きでした。そのほか、アトラクションと呼ぶべきでしょうか、いろいろな年齢層が楽しめる体験コーナーがあって、大人1,800円の入館料は安くないですけれど、それに見合うだけ楽しめると思いました。
それにしても、TAKAO 599 MUSEUMといい、TeNQといい、知識3割、イメージ7割といった構成は、今どきはそうでないと受け入れられないのだろうかと、考えさせられます。
つくばに着いて、翌日3日目は、朝から国立科学博物館へ。科博といえば上野が本館ですが、研究の拠点はつくばにあります。そこにも、夏の企画展で展示した借用物を返却しました。大きなニタリクジラも、科博の収蔵庫に戻りましたよ。
そして、ついちょっとJAXAの筑波宇宙センターに寄ってしまいました。自慢ですが、私が名付け親の一人である「かぐや」と「こうのとり」にも久々の対面。
最終日の4日目は、再び科博に行き、この出張でもっとも重要な打ち合わせ。専門の先生に、来年のサヒメルの企画展「ぐるぐるアンモナイト(仮題)」の相談に乗ってもらいました。
最後は帰る間際に新宿のミネラルフェアへ。そこで、アンモナイトの標本を一つ買い付けました。どんな標本かは秘密です。来年のアンモナイト展を楽しみしてください。
初日の9月29日は移動のみで、2日目は東京都日野市の多摩動物公園へ。夏の企画展で展示していたパンダの「カンカン」の剥製を返却しました。今は無事「ランラン(左)」の隣に収まっていますよ。
次は八王子市の収蔵施設に移動。ナウマン象の全身骨格も返却しました。
その関連で、八王子市が建てたTAKAO 599 MUSEUMを見に行きました。今年8月にオープンしたばかりの新しい施設。ミュージアムと呼ぶには物足りないところはありますが、「ネーチャー・ギャラリー」といった趣で、たいへんきれいな展示でした。今後はリピーターが多く訪れるような企画に期待です。
そこから翌日の用務地のつくばに向かうのですが、時間があったので、新宿のコニカミノルタプラザでKAGAYAさんの写真展「星月夜への招待」を見ました。月が雲の背後にあるだけで月も星も写っていない作品など、こういうのもありなのかと、やはり勉強になります。写真もいいのですが、その写真を何枚も連続で見せるタイムラプス動画には圧倒されました。静止画の作品は、長時間、数え切れないぐらい撮影した中の一枚に過ぎないと思うと、手間をかけずに写真を撮ろうとする無精な私には、なかなか真似できません。
さらにその日は、なんとか水道橋のTeNQにまで足をのばすことができました。本物の研究室が「展示」してあることが最も驚きでした。そのほか、アトラクションと呼ぶべきでしょうか、いろいろな年齢層が楽しめる体験コーナーがあって、大人1,800円の入館料は安くないですけれど、それに見合うだけ楽しめると思いました。
それにしても、TAKAO 599 MUSEUMといい、TeNQといい、知識3割、イメージ7割といった構成は、今どきはそうでないと受け入れられないのだろうかと、考えさせられます。
つくばに着いて、翌日3日目は、朝から国立科学博物館へ。科博といえば上野が本館ですが、研究の拠点はつくばにあります。そこにも、夏の企画展で展示した借用物を返却しました。大きなニタリクジラも、科博の収蔵庫に戻りましたよ。
そして、ついちょっとJAXAの筑波宇宙センターに寄ってしまいました。自慢ですが、私が名付け親の一人である「かぐや」と「こうのとり」にも久々の対面。
最終日の4日目は、再び科博に行き、この出張でもっとも重要な打ち合わせ。専門の先生に、来年のサヒメルの企画展「ぐるぐるアンモナイト(仮題)」の相談に乗ってもらいました。
最後は帰る間際に新宿のミネラルフェアへ。そこで、アンモナイトの標本を一つ買い付けました。どんな標本かは秘密です。来年のアンモナイト展を楽しみしてください。
タイトルに変化を付けました [このブログについて]
なかなか更新できないので、タイトルに変化を付けてみました。
かわさき宙と緑の科学館(川崎市青少年科学館) [募集情報]
かわさき宙と緑の科学館(川崎市青少年科学館)で、天文・プラネタリウム担当の非常勤職員を募集しています。
施設の紹介は、以前募集があったときに書きましたので、そちらをご覧ください。
非常勤で最長5年、実務経験が必要となっています。
詳しくは、以下のリンク先をご覧ください。
川崎市青少年科学館学芸業務非常勤職員募集 要項
施設の紹介は、以前募集があったときに書きましたので、そちらをご覧ください。
非常勤で最長5年、実務経験が必要となっています。
詳しくは、以下のリンク先をご覧ください。
川崎市青少年科学館学芸業務非常勤職員募集 要項
姫路科学館 [募集情報]
姫路科学館が主にプラネタリウムを担当する職員を募集しています。
直径27mという大きなドームを持つプラネタリウムと、「実験体験」・「本物体験」ができる展示のある総合的な科学館。向かいには、同じ姫路市立の宿泊型公開天文台「星の子館」もあり、天文の仕事をするにはとてもよい環境です。
ちなみに、ここのプラネタリウムはサヒメルのプラネタリウムと兄弟機といえる機種なのですが、リニューアルが昨年3月とサヒメルのそれよりも新しいのです。まだ見せてもらっていないのですが、光源がLEDに替わったとのことで、うらやましいです。
非常勤の嘱託員で、任用は1年間。最高2回の更新があるそうです。
詳しくは以下のリンク先をご覧ください。
姫路科学館プラネタリウム専門員(非常勤嘱託員)の募集案内
直径27mという大きなドームを持つプラネタリウムと、「実験体験」・「本物体験」ができる展示のある総合的な科学館。向かいには、同じ姫路市立の宿泊型公開天文台「星の子館」もあり、天文の仕事をするにはとてもよい環境です。
ちなみに、ここのプラネタリウムはサヒメルのプラネタリウムと兄弟機といえる機種なのですが、リニューアルが昨年3月とサヒメルのそれよりも新しいのです。まだ見せてもらっていないのですが、光源がLEDに替わったとのことで、うらやましいです。
非常勤の嘱託員で、任用は1年間。最高2回の更新があるそうです。
詳しくは以下のリンク先をご覧ください。
姫路科学館プラネタリウム専門員(非常勤嘱託員)の募集案内
津和野町立日原天文台 [募集情報]
日原天文台がスタッフを募集しています。
今は全国に数多くある公開天文台の先駆けとして、1985年に開設された「老舗」です。口径75センチの反射望遠鏡は島根県では最大で、すばる望遠鏡のプロトタイプでもあります。もちろん環境は星を見るには最適で、三瓶にも劣らない暗い空を誇ります。
身分は津和野町の嘱託職員で、雇用期間は3年ですが、継続雇用の可能性もあるとのことです。
比較的少人数の職場ですので、やる気次第でかなりいろいろなことにチャレンジできるのではと想像します。ぜひ、お忙しい台長さんを助けてあげてください。
詳しくは以下のリンク先をご覧ください。
日原天文台ホームページ
今は全国に数多くある公開天文台の先駆けとして、1985年に開設された「老舗」です。口径75センチの反射望遠鏡は島根県では最大で、すばる望遠鏡のプロトタイプでもあります。もちろん環境は星を見るには最適で、三瓶にも劣らない暗い空を誇ります。
身分は津和野町の嘱託職員で、雇用期間は3年ですが、継続雇用の可能性もあるとのことです。
比較的少人数の職場ですので、やる気次第でかなりいろいろなことにチャレンジできるのではと想像します。ぜひ、お忙しい台長さんを助けてあげてください。
詳しくは以下のリンク先をご覧ください。
日原天文台ホームページ
新聞に連載を始めました [博物館の仕事(天文)]
島根で一番読まれている新聞・山陰中央新報に、隔週で連載記事を出すことになりました。親子向けに、星を見る楽しみを紹介します。
タイトルは「きらめく星たち~さんいんの夜に」。新聞社につけてもらいました。
月に1回は次の月に見える星座を中心に紹介し、そのほかの回は星の見方から天文・宇宙の話題につなげていきます。
1年間の連載ですので、全体としてまとまりのある読み物にしたいと考えています。山陰中央新報のウエブサイトにも掲載されますので、左側のバナーもしくは下のリンクからぜひご覧いただいて、ご意見ご感想をお聞かせください。
きらめく星たち~さんいんの夜に 見出し一覧
タイトルは「きらめく星たち~さんいんの夜に」。新聞社につけてもらいました。
月に1回は次の月に見える星座を中心に紹介し、そのほかの回は星の見方から天文・宇宙の話題につなげていきます。
1年間の連載ですので、全体としてまとまりのある読み物にしたいと考えています。山陰中央新報のウエブサイトにも掲載されますので、左側のバナーもしくは下のリンクからぜひご覧いただいて、ご意見ご感想をお聞かせください。
きらめく星たち~さんいんの夜に 見出し一覧
タグ:山陰中央新報
「大好き大怪獣」 [家族]
非常にたわいない話なのですが、幼稚園年中の次女が即興で作った歌がありまして、それが耳から離れないので、ここに発表いたします。
大好き大怪獣
作詞・作曲・歌:次女
どどどど わ
どどどど わ
あなたも わたしも いる じょうぶ
どどどど わ
どどどど わ
あなた わたし 大好きワンダーランド
大好き 大好き 大怪獣
大怪獣 ドスドスドス
大怪獣 ドスドスドス
だいじょうぶ!
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
もう一人の声は三女です。
大好き大怪獣
作詞・作曲・歌:次女
どどどど わ
どどどど わ
あなたも わたしも いる じょうぶ
どどどど わ
どどどど わ
あなた わたし 大好きワンダーランド
大好き 大好き 大怪獣
大怪獣 ドスドスドス
大怪獣 ドスドスドス
だいじょうぶ!
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
もう一人の声は三女です。
いつ星が好きになったか? [学芸員への道]
「昔から星が好きだったんですか?」とよく聞かれます。「はい」とは答えますが、いつごろから、何がきっかけで好きになったのかは、実は覚えていません。
子どものころから理科が好きで、特に宇宙のことに興味を持っていたと思います。小学校高学年のころには間違いなく宇宙が好きな少年になっていました。そんなふうにいつの間にやら「好き」だったのですが、その後「何より好き」と少なくとも当時の自分自身が思うようになりました。そのきっかけは、中1のころに集中して起こったいくつかの事件にあったと思い出せます。
ひとつは、ボイジャー1号が土星に接近したこと。そのボイジャー撮影の土星が表紙の「天文ガイド」1981年1月号を本屋で見つけたこと。同じく本屋で「天文年鑑」という小さな本を見つけたこと。1981年版だったそれを、ぼろぼろになるまで見ましたね。使われている用語が新鮮で、こんな世界があるのかと思いました。そして、スペースシャトル・コロンビアが宇宙へ初飛行したこと。どれも、今の仕事につながるほど私を天文好きにさせたできごとだったのですが、それにもまして、大きな衝撃だったことがありました。
それは、テレビ番組「コスモス(宇宙)」の放送です。この番組が私の人生に大きな影響を与えたといって過言ではありません。
本を読まない子どもだったので、テレビばかり見てないで本を読めと、親によく叱られていました。「コスモス」についてはいい番組なので決して見るなと言われたわけではありませんが、本を読んで人生が変わっても、テレビを見て人生が変わるなんて、私の親の世代なら思ってもみないでしょうね。でも、「コスモス」は本当にすごい番組でしたから、私と同世代なら同様に影響を受けた人も少なくないでしょうし、私の感覚を肯定してくれる人もいるのではないでしょうか?
さて、その「コスモス」の話は、いくらでも書けてしまいそうですので、今回は一旦置いて、また、次回改めて書くことにします。
子どものころから理科が好きで、特に宇宙のことに興味を持っていたと思います。小学校高学年のころには間違いなく宇宙が好きな少年になっていました。そんなふうにいつの間にやら「好き」だったのですが、その後「何より好き」と少なくとも当時の自分自身が思うようになりました。そのきっかけは、中1のころに集中して起こったいくつかの事件にあったと思い出せます。
ひとつは、ボイジャー1号が土星に接近したこと。そのボイジャー撮影の土星が表紙の「天文ガイド」1981年1月号を本屋で見つけたこと。同じく本屋で「天文年鑑」という小さな本を見つけたこと。1981年版だったそれを、ぼろぼろになるまで見ましたね。使われている用語が新鮮で、こんな世界があるのかと思いました。そして、スペースシャトル・コロンビアが宇宙へ初飛行したこと。どれも、今の仕事につながるほど私を天文好きにさせたできごとだったのですが、それにもまして、大きな衝撃だったことがありました。
それは、テレビ番組「コスモス(宇宙)」の放送です。この番組が私の人生に大きな影響を与えたといって過言ではありません。
本を読まない子どもだったので、テレビばかり見てないで本を読めと、親によく叱られていました。「コスモス」についてはいい番組なので決して見るなと言われたわけではありませんが、本を読んで人生が変わっても、テレビを見て人生が変わるなんて、私の親の世代なら思ってもみないでしょうね。でも、「コスモス」は本当にすごい番組でしたから、私と同世代なら同様に影響を受けた人も少なくないでしょうし、私の感覚を肯定してくれる人もいるのではないでしょうか?
さて、その「コスモス」の話は、いくらでも書けてしまいそうですので、今回は一旦置いて、また、次回改めて書くことにします。
明石市立天文科学館 [募集情報]
兵庫県明石市が天文専門の職員を募集しています。
配属先はもちろん、明石市立天文科学館。稼働しているものの中では日本最古のプラネタリウムがあり、東経135度の日本標準時子午線上に建つ巨大な時計塔の上には天文台もあります。「今何時?」「オレは明石の天文台か!?」(嘉門達夫『勝手にシンドバッド』)と唄に歌われたように、時に関西人が「日本の標準時はここが決めている」と誤解するほど、きわめて有名な施設です。
その知名度におごることなく、オリジナル・ヒーロー「軌道星隊シゴセンジャー」や眠ってもらうための「熟睡プラ寝たリウム」など、常に新しい取り組みを積極的に進めています。企画のユニークさが話題になりますが、全回生解説のプラネタリウム投影といい、時と宇宙に関する展示といい、実に正統派の科学館です。
今回の募集は任期付きの正規職員で、5年の任期満了後は再度採用試験が受けられるとなっています。競争率はかなり高くなるのではないでしょうか。
詳しくは以下のリンク先をご覧ください。
明石市【職員採用情報】任期付職員(天文職)
ちなみに、日本標準時は、東京都小金井市にある情報通信研究機構が決めています。
配属先はもちろん、明石市立天文科学館。稼働しているものの中では日本最古のプラネタリウムがあり、東経135度の日本標準時子午線上に建つ巨大な時計塔の上には天文台もあります。「今何時?」「オレは明石の天文台か!?」(嘉門達夫『勝手にシンドバッド』)と唄に歌われたように、時に関西人が「日本の標準時はここが決めている」と誤解するほど、きわめて有名な施設です。
その知名度におごることなく、オリジナル・ヒーロー「軌道星隊シゴセンジャー」や眠ってもらうための「熟睡プラ寝たリウム」など、常に新しい取り組みを積極的に進めています。企画のユニークさが話題になりますが、全回生解説のプラネタリウム投影といい、時と宇宙に関する展示といい、実に正統派の科学館です。
今回の募集は任期付きの正規職員で、5年の任期満了後は再度採用試験が受けられるとなっています。競争率はかなり高くなるのではないでしょうか。
詳しくは以下のリンク先をご覧ください。
明石市【職員採用情報】任期付職員(天文職)
ちなみに、日本標準時は、東京都小金井市にある情報通信研究機構が決めています。
藤とジャカランダ [国際協力]
通勤途中のところところで藤が咲いています。藤の花を見ると昔のことを思い出します。
ジャカランダという木があります。藤とはまったく別の植物ですが、その花は藤と同じ青紫色をしています。10数年前、青年海外協力隊員としてタンザニアにいたとき、赴任先の町でジャカランダの花がたくさん咲いていました。この時季、藤の色から、その町を思い出すのです。
東アフリカの国タンザニア。その中央部に位置するイリンガは、赤道付近とはいえ標高は1500メートルを越え、涼しい町。四季のないタンザニアですので、何月ごろだったのかさえ覚えていないのですが、ある時季に町中がジャカランダの紫で染まるのです。
その様子は日本の春に一斉に咲く桜のようで、ピンクと青紫の違いはあっても、日本人なら花見をしたくなるところです。ところが、当の現地の人たちは、ほとんど花に興味を示さず、国民性の違いだなと思いました。ちなみに写真は私が住んでいた家で、これを見ると田舎のようですが、学校の広大な敷地の中にある教員住宅でして、イリンガ自体はそこそこの地方都市です。
2000年の末に帰国して以来、一度も行っていないので、もはやその地とのつながりは皆無です。それどころか、その後国際協力の道に進まなかったので、当時の青年海外協力隊のOBともかなり疎遠になっています。この季節、藤を見ると、アフリカの人たちはどうしてるか、協力隊の仲間はどうしてるかと、気になり、懐かしくなります。
ジャカランダという木があります。藤とはまったく別の植物ですが、その花は藤と同じ青紫色をしています。10数年前、青年海外協力隊員としてタンザニアにいたとき、赴任先の町でジャカランダの花がたくさん咲いていました。この時季、藤の色から、その町を思い出すのです。
東アフリカの国タンザニア。その中央部に位置するイリンガは、赤道付近とはいえ標高は1500メートルを越え、涼しい町。四季のないタンザニアですので、何月ごろだったのかさえ覚えていないのですが、ある時季に町中がジャカランダの紫で染まるのです。
その様子は日本の春に一斉に咲く桜のようで、ピンクと青紫の違いはあっても、日本人なら花見をしたくなるところです。ところが、当の現地の人たちは、ほとんど花に興味を示さず、国民性の違いだなと思いました。ちなみに写真は私が住んでいた家で、これを見ると田舎のようですが、学校の広大な敷地の中にある教員住宅でして、イリンガ自体はそこそこの地方都市です。
2000年の末に帰国して以来、一度も行っていないので、もはやその地とのつながりは皆無です。それどころか、その後国際協力の道に進まなかったので、当時の青年海外協力隊のOBともかなり疎遠になっています。この季節、藤を見ると、アフリカの人たちはどうしてるか、協力隊の仲間はどうしてるかと、気になり、懐かしくなります。
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